徒然ブログ

2014年7月アーカイブ

この枕を 開発にかかったのは もう5年も前の事

いつも旅行で宿泊 その度に 貴女のいびきで寝られない

自分に覚えもなく 人に迷惑?

そんな事がきっかけで 意識出来ない睡眠中を知りたいで

滋賀医大睡眠工学科の 宮崎総一郎先生に出会う

いくつかの講義を受け  そして先生のご紹介で 

睡眠クリニックで診察 一晩いくつかの計測器を付けて眠る 

結果 すごいいびき音 そして無呼吸のグラフ ではどうすればで 

横になる寝姿で その細い体の細い気道も 舌に邪魔されず 道があくかもで

会社の工場で  開発にかかる

沢山のモニターさんの協力 そして数年 やっとの完成品で

再度 宿泊付きの試験試用 ビフォー アフターで 比べ

好転したデータの結果 これなら いびき 無呼吸での脳への酸欠にも

お役に立てる 

横臥寝枕 SOO SOOが 出来上がりました 当社店頭で ネットで と 

お悩みの方のご相談も 睡眠健康士のライセンスを取った

スタッフが対応 で 睡眠中の快眠にお役たっています 

横臥寝SOOSOOが 私自身の快眠にも 役にたっています

            寝具研究科  大東 和子 

京料理の雪月花での 食事会 鴨川沿いの床で

日中35度の猛暑に 自然の冷房が どんなものかと暑さも

覚悟で席につく

7時前の床 爽やか 陽の落ちた 夕方 川面からの 風

自然からの風情を全身が 心地よく受ける 冷えたビールに

のどが感動

OB  企業の人生の 卒業の皆 

幸せそう 飲み 食べ 話し 手も 口も 元気 

何を伝え 何を残そう そんな責任も もういいのかも

見守る事 それだけなのかも 

今夜の食事のように 感謝で 飲み込める事が人生のOBなのかも

     寝具研究科   大東 和子

 

扇子の思い出

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この暑さに バックの中を手探りでゴソゴソ 

手応え無し 扇子が 底に在るはず 

でも無い 落としたのか 忘れたのか

で 確か タンスの小引き出しに まだ有った筈

有ったーー 幾本かのオニュウーが 

とそこに 金襴の袋に入った扇も 爪で止まってある袋を

開ける 舞扇 片方は桜 もう片方はもみじ 金彩で描かれたお扇子

 

もう60年余りも昔 10歳位から6年間位かな 謡・仕舞いのお稽古

母の進めで 女の子としての 躾の一つ

懐かしいな 海女 に 羽衣 好きな 演目 

もう一度 すり足で この扇子を開きたい

フエスブックで いつも交信のある 能楽師の 林 宗一郎先生に

衝動的にもなるかな 連絡をする 思い出をもう一度 目の前にしたい

22日にとお約束 でもこの衝動にかられたこの思い

消えずに その日にこの扇子が開けるかな

           寝具 研究科   大東 和子

 

 

わたしの敷布団

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この暑い 毎夜 その寝床は?

入眠に 良い時間は 朝の目覚めから およそ 15時間後に

睡眠ホルモンにより 快眠へと誘われる

でも この季節 熱さと 湿気で 寝具もどんなものかと考えました

私の寝具の会社 そのものづくりの工場へ入る

まず素材選び 綿は ウール ニュージーランドの羊さんの綿

柔らかいウールを支える 芯を 凸凹のあるウレタン 化学合成は拒否のこれまでの私

現在のウレタン その開発素材は その力は自然に近いものも作れるみたい

私選びで 出来た 敷布団 身体はしっかり沈まず支え なのに

無意識の内にする寝返りも そのクッション性で楽なのか

朝の 起床の腰のだるさがない 

わたしの 工場での 素材選びは 成功 暑さに関係なく 快眠

健康な眠り で 今日も 元気です

          寝具研究科  大東和子

 

 

 

 

 

 

 

 

笑顔

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顔が笑っている 笑っている顔

鏡に写っている顔を 笑顔に を作ってみる まず口角を上げる 

人によっては お箸を 並行にくわえてみる

でも これは 笑った 振り 

かたちは これでいいのかも

 

本当に 楽しい時 腹を抱える笑いを 思い出してみる

満面の笑顔って 心が笑う

顔が くちゃくちゃ ほっぺも動いて 目も 目尻が下がる

こんな笑顔を  どんな時 どんな所でも できれば

心の トレーニングは 鏡の前では出来ない

楽しいをつくれる心は 自前の力を意識しよう

       寝具研究科   大東 和子

 

がんと言う病名

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37年前、がんと言う病名は

がんイコール死の認識の時代 

私の主人が亡くなるまでの数ヶ月 本人には 秘密 誤魔化しの 日々

そして 25年後 私の進行性大腸がん その病名

治療の仕方 命の限りまでも告知

1年余りとの命の終末を 聞いてから 覚悟の一年 そして又一年

あれから 13年の生きるをさせていただきました

少し考えました がんで死ぬのではない それは死に方であって

寿命の限りではない

ガンでなんかで 死を覚悟しない 皆いつか死が訪れる 天から与えられた

命 天命 

そうであれば 生かされている間は 生きていよう

それも悔いなく 楽しく 

がん告知は 死の宣告では無く 生きるを意識させてもらえる病名

そしたら がん告知は もしかして 幸せかも 

医学での告知だけが死を決めるものではない

では 死を意識するのではなく 命を生きよう 感謝して

             寝具研究科 大東 和子

 

 

いのち

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6月27日夕方 友人の窪田さんより 電話

その声は 泣き声での 知らせ 息子が 亡くなったと

思わず すぐ行くからと 答える

6年前 大腸がんから 転移を繰り返し とうとう この日が来る

52歳の人生が その 親より早くに終わる 親不幸 

生を受け この日までの限りのある命

どんなにか大きな声で 我が子に 呼びかける これまでの様に

でも 遥か 遠い どんなに遠いのか 答えは返らず

親が 子を失う 逆さまの命

追いかけたい 変わりたい でも 貴女は在る 友人としての私も

生きていく 辛さを知るために 与えられた道を進まなければ

        合 掌      大東  和子

 

 

 

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